人生は死ぬまで自分探し
アルベイズ梶原Share
こんにちは
アルベイズ梶原です。
今回はほぼただの自分語りです。
自分の生き方の指針について書き殴っていたんですが、書き殴って終わりだともったいない気がして記事にしています。
僕はもったいないおばけに取り憑かれた人間です。
人生は自分が主人公の1本の映画

僕は
人生は1本の動画
だと思っています。
常に主人公は自分自身です。
家族も、友人も、同僚も、恋人も自分以外はみんな脇役。
そして、何かを決める時は
主人公がどう動いたら、この映画が面白くなるか?
を基準に決定しています。
多分に厨二病なので、少年ジャンプ的な決断をしがちですが(笑)
「俺は海賊王になる!」とまでは思ってません(念のため)。
そして、
その映画の面白さが目指すべき自分の自分らしさ
いうなれば、理想の自分です。
誰かの言いなりになって成功するより、
自分のやりたいようにやって失敗した方がいい
誰かの言いなりになって成功するより、自分のやりたいようにやって失敗した方が最終的に学びが多い(人生が面白くなる)と思っています。
これまでもそう考えて生きてきましたし、これからも変わることはないでしょう。
だから、どれだけ宿題をやってこいと言われても絶対にやりませんでしたし、
高校の先生から東大に行けと言われたので、京大に行きました。
小学生の頃、本人にどれだけ説教しても馬耳念仏だったので、最後には親が職員室に呼び出されて小一時間説教されたらしいです。
成人式の後に、その事実を初めて聞かされました。
その後も中高大と周りに何を言われようと「自分のやりたいようにやる」という方針は皮わらず、今に至ります。
万が一普通に就職なんてしてたら、上司の言うことを聞かず、数ヶ月でクビになっていた自信があります( ・´ー・`)どや
自分で決めたことだからやれる
ちなみに宿題も全部が全部やらなかったわけではありません。
面白そうと思った宿題はやって、一応やったからには(もったいない精神で)提出していました。
やるやらないの判断基準は面白そうかどうか、今も昔もそれしかありません。
最近は多少大人になったので、面白そうでも経営的に明らかにヤバそうなことはやらなくなりました。
イヤイヤやった宿題は一切役に立たない
面白いと思ったことに取り組む時は脳内でドーパミンが分泌されます。
ドーパミンには脳を覚醒させる作用だけでなく、学習能力を高める作用もあります。
なので、「好きこそものの上手なれ」は生理学的にも正しいです。
人間は面白いと興味を持ったものを強く記憶するように進化してきたので。
イヤイヤやった宿題の中身が全く頭に残らないのはドーパミンが分泌されないからです。
やりたくない宿題をやるより、その時間でドラクエやってた方がよっぽど良い(将来のためになる)と思っています。
ドーパミンの作用とか生理学的なことは大人になってから知りましたが、もしかすると子どもの頃から本能的に分かっていたのかもしれないです。
単にワガママだっただけの可能性も高いですが。
自分の意思でやったことは失敗しても学びになる
自分で決めてやったことなら、成功しても失敗してもそれは全部自分のせいです。
だから、成功したら嬉しいし、失敗したら悔しいけど、反省して次に活かそうとするので学びになります。
逆に他人に命令されてやったことは成功しても失敗しても他人のせいです。
だから、どちらに転んでも心は大して動きません。
無理やりやらされたという嫌な記憶だけが残ると思います。
僕自身小学生の頃、無理やりやらされた(抵抗しても強引にやられた)ことは今も思い出し怒りするくらいなので。
ちなみに、高校野球の強豪校では監督の命令が絶対でゴリゴリに軍隊のように鍛え上げるタイプのところもあって、そういう高校は確かに強くなって試合では勝てるようになります。
しかし、選手たちの実感としては全く上達している感覚がないらしいです。
野球を楽しいと思ってやれなくなるんじゃないかと思います。
この方法では上達できる限界があるのも間違いないです。
二刀流の大谷選手をみていて確信しました。
彼はどこからどうみても野球が好きで楽しんでいるのが伝わってくるので。
好きでもないことを無理やりやらされて、技術力だけ上げて来た人が彼ほどのレベルに到達できるとは思えません。
「頑張ってるね」って何?
予備校時代は勉強してると(主に親戚から)「頑張ってるね」と声をかけられることが多かったですが、自分の感覚としては「面白いことをやってるだけ」だったので声をかけて来る人々が何を頑張ってると思ってるのかよく分かりませんでした。
「頑張ってドラクエ攻略して偉いね」と言われてる気分。
事実、不完全性定理の証明とかやってたので、少なくとも受験勉強はあまり頑張っていない。
好きなことに熱中するのを努力とは言わないと常々思っている。
好きなことなら、勝手にやるし、やってるうちに勝手に上達していく。
予備校時代の英語講師から聞いた興味深い話がある
その先生は競馬場の辺りにたむろしている男性たちに声をかけて話を聞くということをやっていたらしい。
すると、みんなどうやったらそんな量の情報を覚えられるのかってくらい馬の血統に詳しかったそうで。
そこで先生は「興味のあることは誰でも勝手に身についてしまう」と考え、どうしたら英語に興味を持ってもらえるかを重視するようになったとか。
人生は死ぬまで自分探し
僕自身は今も”自分”というものが分からず、探している。
40年近く生きてきて、今はこんな感じかなぁ?くらいは掴めた気はしているが、
多分、これは一生分からないものだろう。
一生のうちに自分らしさの3割くらい分かれば、上出来なんじゃないかと。
個人的な感覚としては”自分”100%はもはや生きてても死んでても同じ状態だと感じるので、適度に自分らしくなれるよう頑張っていく所存です。
まぁ、人間が有限の人生のうちに”自分”にたどり着くのは不可能なので、全力で追いかけて死ぬまでに30%くらいいけたら御の字というのが現実だと思いますが、ここでは大口を叩いておきます。
余談:我が家のもったいない怪物
我が実家の物持ちの良さは常軌を逸しています。
おばけではなく怪物です。
母の証言によると
嫁入りしたときには既にあった某ネズミキャラのハンドタオルが今も現役で使われています。
子どもより長く家にいるハンドタオルが存在しているという一般家庭では考えられない事態が発生するのが我が家です。
ネズミのタフさがすごいとも言えますが。
僕が生まれる前から存在しているタオルがあるくらいですから、それより新しいタオルを捨てることは許されません。
拭いたら怪我しそうなくらいバサバサになっても、臭いが染み付いて顔に近づけたくもない状態になっても捨てる許可は出ません。
勝手にゴミ箱に入れておいても、いつの間にか戻ってきています。
新しいタオルを買ってもタオルを置くスペースは古いタオルに占有されてるので、おろせません。
というか、結婚式の引出物などでもらったタオルがタンスを占拠しています。
古いものを捨てないので、頂き物のタオルは当然溜まる一方です。
